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五輪後完成のスタジアムに500億円追加で払えという暴論

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東京オリンピックのメインスタジアム建設費が足りないということで政府は都に支援を要請している。簡単に約500億円の支援と言うが大変な額である。その額も今後増える可能性があるとも言われている。

 

日本人の誰もが感じていることだが、はっきり言ってお粗末だ。建設費用の不足の理由としては、資材の高騰などが原因に挙げられている。しかし、これは東京オリンピック招致活動段階である程度わかっていたことだろう。

 

東日本大震災の復興事業により資材や人材が不足しているという話はオリンピック招致段階ですでにあった。それに加えて円安等の要因による材料費高騰についても懸念されてきた。また株や不動産などの値上がりによって投資熱が高まり、都心部中心にマンション建設ラッシュも始まり、資材不足や人材不足が言われていた。オリンピックという国家レベルの大事業であれば、これらの要素は予算策定段階であらかじめ織り込めることであり、それをやらなかったとすれば怠慢と言われても仕方がない。あまりに残念な話なので、招致プレゼン段階では他の立候補国に比べて良く見せようとした結果、予算を少なく見せながらイメージやデザイン重視の提案を行ったのではないか。そして決定後にどうにかしようという考え方をしていたのではないかという穿った見方までしてしまえるほどだ。

 

もしこれが企業であれば、企業の存続に関わる問題だ。事業の受注者が発注者に「当初の計画通り進めようとしたら、お金が足り無さそうなので、予算内の案に変更するか、お金を出してくれるか、どちらかでお願いします」と言うような話は聞いたことがない。そんな滅茶苦茶な企業とはどこも付き合ってくれない。そのくらい適当極まりない話なのだ。

 

舛添東京都知事が下村文科大臣に怒りをあらわにする映像が流れた。個人的には、舛添知事も感情的に怒るのはやめたほうが良いと思う。ただ、より重要なことは、都民だけでなく日本国民が納得する答えを政府から引き出すことであり、その説明が納得いくものでない限りは500億円の支援などしないということだ。知事の抗議が単なるパフォーマンスだけで終わるのであれば、舛添知事の評価もますます下がる。舛添知事にとっても、ここは踏ん張りどころだろう。

 

さて現実問題どうするかという点についてだが、方法論はいろいろある。約500億円の予算追加をやめて当初予算でできる範囲のスタジアム建設にする案。約500億円の追加予算を都にお願いして当初提案のデザインに近いスタジアムを建設する案。また約500億円の追加予算を国税で補充して当初提案のデザインに近いスタジアムを建設するという案もある。その他、難しいかもしれないが、約500億円のうちある一定割合を国立競技場のネーミングライツで補うウルトラCの方法だ。適当なことをやってしまった国やオリンピック委員会がメンツにこだわるのではなく、都民や国民の負担が減るという現実的なメリットを優先する案だ。

 

私個人としては約500億円の追加予算は不要だと考える。なぜなら約500億円の追加予算を投入しても開閉式の屋根が完成するのはオリンピック後だからである。オリンピックのためにスタジアム改修をしているのに、オリンピックに間に合わないのであれば、あえて約500億円の追加予算を税金で補充する必要はない。そしてオリンピックのメインはスタジアムの美しさではなく、スポーツそのものだ。私が考えるに、オリンピックのあるべき理想は、お金をあまりかけなくても、世界中の国々が参加でき、主催国になれることだ。

 

FIFAにしても、オリンピックにしても、イベント規模の拡大に伴い、関連費用も増加している。私は、そのマイナスが徐々に出ているように思っている。FIFAの汚職問題だけではない。オリンピックのスポンサードにはランクがあり、業種やエリアによっても変わる。そしてオリンピックという言葉やマークを使うことにも厳しい制約がある。あまりに厳しすぎるので、これが良いかどうか疑問に感じている企業や広告関係者も少なくない。

 

東京オリンピックメインスタジアムの件では、誰が予算や提案の責任者だったのかという責任問題はある。それと、この先どうするのかという問題もある。それらは明らかにすべきだろう。それとともに感じるのは、オリンピックやW杯などビッグイベントのあり方自体を見直す時期に来ているのではないだろうかということだ。本来、世界中の国々が集まる素晴らしいイベントなのだから、今一度根本に立ち返り、未来に向けてあり方を見直すべきではないだろうか。