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”仕切り力”の無さが招いた国立競技場問題

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公私ともども国立競技場の近くにいるということもあり、私にとって国立競技場は隣人のような存在だ。毎週のようにプールを訪れたり、嵐を始めとするコンサートの時には風に乗って音が聞こえてきたり、毎日ように国立競技場の横を通る神宮外苑のランニングコースをで走っていた時期もある。ただ、オリンピックの東京開催が決定した時には、確かに古い建物ではあるので、建て替えたほうが良い部分もあるとは感じていた。それまで長く付き合ってきただけに、その雰囲気がなくなるのは残念な気もしたが、未来に向けて新しく良い方向でリニューアル出来れば良いのではないかと感じたのだ。現在も国立競技場周辺には毎週のように行くのだが、競技場はすでに取り壊され、工事壁の隙間から見えるかつての国立競技場後には土と建設車両があるばかりだ。

 

2015年7月、新国立競技場建設の工事費があまりに高額であり、かつ次から次へと金額が積み上がっていく状況が問題になり、国民の関心を集めた。世界中が注目するオリンピックのメインスタジアムであり、国を挙げて取り組んできたプロジェクトが、なぜこのようなお粗末な状態になってしまたのだろうか。今一度、なぜこの問題が起きてしまったのかを検証したい。

 

デザインに責任はないと言ったザハ氏

 

安倍首相が新国立競技場の建設プランを白紙に戻すと発表したのは7月17日。建設費がかかりすぎるためというのが理由だ。これに対して、デザイナーのザハ氏は、日本の要望通りに出したデザインであり、デザインに責任はない趣旨の発表をした。

 

ここでザハ氏を責めるのは筋違いだ。あのデザインの良し悪しは個人の感覚の問題であり、好きな人もいれば、嫌いな人もいる。ただ、そのデザインを決めたのは決定権限を持った国際コンペ審査委員会である。その責任者は委員長である安藤忠雄氏だ。あのデザインが好きかどうかは別として、正しいプロセスを踏んでデザインが採用されたのだからザハ氏に非はない。ザハ氏のデザイン案には、コスト高の原因とされているキールアーチの部分も入っており、それも含めて安藤氏は採用を判断したのだ。今さらデザインの是非やキールアーチのコストの問題を指摘されても、ザハ氏としては迷惑な話だ。この問題の本質はそこにはない。

 

デザインは選んだがコストは責任外と言った安藤忠雄

 

問題が噴出してから数日経って会見に出てきた審査委員長の安藤忠雄氏。会見において安藤氏は、あれだけの金額がかかる理由がわからず、もっと減らせないものなのかと感じていると話した。またコンペはあくまでデザインコンペであり、コストについては関与していないとも答えた。そして、個人的にはザハ案を続けたいとも発言した。

 

安藤氏と言えば、今なお利用者から大不評である渋谷駅地下工事に携わった経歴を持つ。大型の建築工事は得意分野ではないという声もよく聞く。本当のプロフェッショナルであれば、仕事を引き受ける段階で、自分にできる仕事かどうかを判断する。プロとして自らの知識・経験・技術を提供するわけだから、やってみたいではダメなのだ。よくわからないものを引き受け、迷惑をかけてしまうようであれば、プロとしては引き受けるべきではなかっただろう。厳しい言い方をすれば、この点において安藤忠雄氏は、いままでの栄光を自ら傷つけてしまったのだ。

 

ただ、今回の問題の根幹は安藤氏でもないのだ。このコンペで安藤氏に依頼されていた部分がデザインのみということであれば、プロとしては本当に残念ではあるが、安藤氏は与えられた役割を果たしたということになる。

 

では、今回の問題の根幹はどこにあるのだろうか。

 

今回の問題の根幹

 

今回の問題の根幹は「仕事の頼み方・仕切り方」にある。つまり、ザハ氏や安藤氏に仕事を依頼した人たちのコンペへの仕切りが悪かったということだ。そして、ザハ氏や安藤氏はコメントを出しているものの、責任者のコメントがまったく出て来ないことが問題だ。

 

そもそもオリンピックのメインスタジアムのデザインを決めるにあたり、予算を無視してデザインの良し悪しだけで決められるわけがない。いくら使っても有り余るほどの金があれば、費用を無視してデザインの素晴らしさで選べば良い。ただ現実にそんなことはあり得ない。予算があって、はじめてデザインが出てくる。そして予算内に収まるデザインの中から案を決定することができるのだ。

 

この問題が起きている中、まずは責任者が出てきて「今回のデザイン選定にあたっては、選考基準の作り方が間違っていた」と謝罪すべきなのだ。コンペの段階で「予算・納期・実施目的(狙う方向性含)・決定プロセス(決定権者含)・責任範囲」という基本的なことを決めていないから、今回のような騒動になるのだ。

 

安藤忠雄氏のようにデザインだけを見る人がいても良い。ただ、それであれば、本当にコストまでわかる経験豊かな人物を委員会の委員長に据えて選考・精査・統括すべきだったのだ。安藤氏をはじめデザインだけを見る人はアドバイザーとして参考意見を聞くことにしておけば、こんなことにはならなかっただろう。

 

広告業界のコンペですらありえない話

 

広告業界のプレゼンでも、こんなお粗末な話は聞かない。テレビCMを作るならば、CMを実施する目的があり、予算があって、はじめてCM案を作ることができる。

 

仮に、ある食品メーカーのCMコンペがあるとしよう。

 

メーカー:できるだけ多くの消費者の認知度を高めたいので、アイデア重視で提案してほしい。

 

広告会社:(2週間程度後に)認知度を高めるならば、タレントを起用しましょう。それもできるだけ多くの人に人気のある嵐やSMAPでいきましょう。

 

メーカー:いいね。それで行こう。ところで契約費・出演費・制作費込み込みで予算は5000万円なんだけどお願いね。

広告会社:・・・・・ それは無理です。

 

メーカー:いやいやデザインは良いんだから頑張ってよ。

 

さて、

 

嵐やSMAPを起用したCMであれば、少なくもても1億5000万円以上はかかるのが現実だ。重ね重ね言うが、こんなメチャクチャなやりとりは絶対に起きない。そもそも最初の段階で広告主は予算の提示を行う。そして広告会社はその予算をわかった上で、提案するからには実行・完成に責任を持つ。こんな当たり前のプロセスが、今回の国立競技場建設においては皆無だったのだ。

 

最初から、きちんとした仕切りをしていれば、このような問題は起きなかった国立競技場建設問題。このような状態をを生み出した問題の検証はきちんとすべきだ。確かに、デザインの見直しにより、国民や都民にとっては費用負担は抑えられる方向にいくが、オリンピック招致のプレゼンで提案したデザインが完成しなかった事実は、国際社会における日本そのもの信頼度を低下させるという損失を招いている。

 

そもそも仕切る側には、デザイン能力などはなくても良いのだが、物事がベストな形で進むためのルール作りや人選などのプロセス作りについては、少なくともきちんとやってもらわなければならない。ザハ案の白紙撤回後、安倍総理を責任者として新国立競技場建設に向けて動き出すという話も出ているが、この問題はそんな大げさな話ではない。きちんとした体制とプロセスを整えれば、総理大臣がトップをやるような話ではないのだ。ビジネスをしている人ならば、当たり前の話なのだ。